皆さんは、今までに、周囲の人から「ちょっと変わっているよね」「少し変だよと」いわれたことはありませんか?

 

一般的に、そう言うことを言ってくる周囲の人のほとんどは、そこまで深く考えての発言ではないものです。

 

ですが、言われて方としては、心に引っかかりを感じ、気にしてしまいます。

 

ましてや同じようなことを言われても、全く気にしているそぶりもなく、あっけらかんとしている人を見ると無神経なのか、鈍感なのかとすら思ってしまいます。

 

このタイプの「引きずる人」は神経が繊細で細やかな感性をもっている人ともいえます。

 

そのため一度傷つくとなかなか切り替えることができない人が多いのではないでしょうか?

 

一般的には子供の時は、みんな一緒が良い、そんな風潮があるため、そうでもないものに対して、安易に「変」と言う言葉を投げかけるのかもしれません。

 

なので、生きていれば、多かれ少なかれ、誰にでもあるわけです。

 

私が今まで出会って親しくしている人の中にも、幼いときに周りからそう言われた経験があると言う話をよく聞きます。

 

そして、この「変」と言う言葉を投げかけられていた本人としては、今ではそれを引きずるわけでもなく、むしろ違うと言われていたことを誇らしく思っているそうです。

 

なぜかといえば、幼いことから「変」と言う言葉を投げかけられたことで、自分と他人との「違い=ギャップ」を人よりも早く意識することができた。

 

だからこそ、今や企業のトップや、経営者として胸を張って活躍しているのかもしれません。

 

さらには当時から、自分自身でも変わっているという自覚があったと言う人もいます。

 

それは病的なものではなく、彼らには考えとして、みんなと同じことが嫌うと言う共通する価値観があるのです。

 

しかし「引きずるひと」は「違い=ギャップ」で傷つくことを恐れて、その違いを埋めようと考えがちです。

 

もちろんこれらが、「差別」」や「偏見」を生じさせて、イジメなどの社会問題になることが多々ありますから、「引きずる人」がギャップを埋めようと言う気持ちもわかります。

 

さらには神経が繊細で細やかな感性を持っている「引きずる人」から見れば、「はね返す人」は図太いようにも思うかもしれません。

 

でも、実は「はね返す人」にも「引きずる人」と同じように繊細な部分があるからこそ、その違いにも敏感なのです。

 

ただ、少し考え方を切り替えただけなのです。

 

例えば、引退したイチロー選手の右足をあげぶらぶらと揺らす「振り子打法」についても、当時は独特とされ「基本と違う、すぐ打てなくなる」「単なる走り打ち」と批判されていました。

 

ですが、結果それを跳ね除けていました。

 

私もよく「変わっているよね」と言われることがあります。

 

そんな時は私は、そもそも「ギャップを埋めようとしてもキリがない!」と言う考え方をもち、批判とは捉えず、むしろ意見として聞く。

 

すると自分と他人のギャップが明確にわかり、また気がつかなかったことにも新しく気づけることがあるかもしれないと思うようにしています。

 

なので具体的にどんなところがなのかを質問することもあります。

 

と言うことで、「はね返す人」になるためには、自分の成長に目をむけ、安易に他人とのギャップを埋めようとしない習慣をつけましょう。

 

むしろ、自分と他人の「違い」を常に意識して、「ギャップ=個性」と言えるような武器に切り替えることもできる場合だってあるものです。

 

それに最近では、ダイバーシティ(多様性)と言う言葉をよく見聞きするようになりましたよね。

 

これは社会的に多様な人材を積極的に活用しようと言う考え方です。

 

つまり、人は量産型のロボットではありませんから、「人との違いを武器にうまく活用するぐらいの図太さと開き直りが必要だ」と考えてみてもいいかもしれません。

 

だからと言うこともありますが、失敗の仕方だって多種多様。

 

いとも簡単に他人ができることを失敗したときにこそ、きっと新たな気づきや目から鱗となるべきポイントが隠されていると考えてみてください。

 


 

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